2014年5月19日月曜日

毒。

思うことですが、対象をいざ似せる、要素を抜き取る際=描写する際に「毒」めいた感性が必要だったりします。

ある部分を摘出するというか、抉り(えぐり)出す感じ?でしょうか。。。(何言ってるのかわかりませんね)

客観的に「こんな感じかな?」という対象の印象とともに、描写は細部、本質、対象自体の個体差にまつわることなど「これ!」と選ぶ感じ。
その時、普段人があんまり見ないようなミクロ的な視点でみる感じです。

で、その際には描く人の、「性格」が関わってくる感じがします。

私は長く美大予備校で人を教える仕事を傍らにしているのですが、
「凄い描写するな」 「良く見てるな!」という絵を描く人は大体性格が悪いとこあるかのように思います(笑) というのは言い過ぎでしょうか?
それか、粘着質、執着心がとてもある人です。「裏側」とか「その奥」を見ようとする人です。

性格的にはデメリットかもしれませんが、絵のリアリティには力発揮します。

TVのモノマネ番組を見る時も似たような感覚になります。
「良く見てるな!」「似てる!」というのは時には当人にとって残酷な描写。
当人が「見ないでほしい…」「嫌だな」と思う特徴部分を痛烈に抉り取り、それを人に伝えるよう、悪い心象になるギリギリのところを狙っていく感じします。

モノ作る人、絵を描く人にこの「毒」は必要な感じします。
で、それは社会的には通用しないので、なるたけ良い人で居ようとします。
が、滲み出る「毒」を垣間見たとき、私はちょっと安心したりします。「あ、仲間だ。。。v」みたいな?(笑)

逆に「毒」無い人は警戒したり。
まっとうな社会人はそんなの必要ないし、こちらの「毒」めいた感性を知られたらどうしよう、ドキドキ、、、(>_<) みたいな。 これって、物の見方、のようなところだと思います。ストレート、客観的な見方に対して、逆な、または斜めな見方をする、ような多角的視野なのかもしれません。 そして本質はどこなんだろう?真理は?(あるかないかは別として)への探求、執着。 だから、ただ性格悪いわけではないですね、悪意でなく、本質を窺い知ろうという行為だと思います。「本当はどうなんだろう?」ていつも頭にある感覚です。 おまけですが、ただ言葉遊びに反義する人もいます。この場合は本当の性格は意外とまっすぐ、普通ですので、「俺、天邪鬼なんだよ~~」という人はこれに値しません。そもそも天邪鬼などと思ってないですから。 病的な毒は辛いことですが、モノつくりの「毒」的な目はとても信頼しています。 人と話すとき、出さないようちょっと緊張しますが、親しくなった方は私の「毒」に対して寛容で頂けると幸いです。

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