2012年3月12日月曜日

支援。

最近、東日本大震災支援についての事やその繋がりでの交流が増えました。

昨年からの支援企画展示に、2回参加させて頂きました。
一つは東京美術倶楽部によるチャリティオークション企画
もう一つは芸大OBによる亀井氏の企画、saposapo projectです。こちらはvol.3、4と参加させて頂きました。

先日は主人がsaposapoの繋がりで、支援先でもある、芸大油画科出身でsaposapoにも出品されていた庭JAPAN長崎さんのお手伝いと案内により、石巻に行って来ました。

家族や友人からの写真やレポートは、報道で知りえるものより一層実感が伝わって、生々しくリアルに思いました。きっと感性が共有出来ているので、間接的に少し実感出来るのでしょう。不思議な感覚です。


ボランティアに行っている人、積極的な方は、仕事はどうしているんだろう、と思っていました。
自分の仕事や家族がおざなりになっているのでは、ボランティアの意味がないのでは、
自分の領分が上手くいってないので逃避になってしまうのでは、とも思ってました。
大儀や頭で考え、「正しいこと」と思いすぎてボランティア自体が運動になってしまっている「運動家」にはそういう人も多いようなことを、本の知識で知っていましたこともあるかと思います。


でも、今回の震災で、すぐ行動に移せる方は、まず体が勝手に動いていってしまう方なのだと思いました。
そしてそんな人だからこそ家族や友人は付いていき、仕事もより一層充実していくループを感じました。



絵を描く人はすごく難儀だなあ、と思う所があって、客観視しよう、まず冷静になろう、と一拍置くクセが付いているのかもしれません。
クロッキーやドローイングなどは別として、「いいな」と思ったことやアイデアを思いつくまま急に描きだしたら、上手くいかないこともあることを知っているので、感情に揺さぶられないように、または自身を斜めに、シニカルに見るようなことを日常で行ってしまうこと多々あります。
上記に書かれた、ボランティアの人への考え方がまさにそうです。否定しているのではなく、人を助ける、助けたい、という気持ちの時もそういった思考が働いてしまいます。 

少なくとも私はそうです。良い意味でも悪い意味でも、感情的で、怖がりです。

絵を描くとき、どの方法が上手く一番伝えられるか、構図など、表現出来るかをしばし考えて、決まったらそれに向かってまた紆余曲折しながらも地道に進んでいく、カメのような歩みです。
(特に日本画の材料を扱っている作家は、絵具溶き、紙の裏打ちや箔押しなどの作業も多く、すぐに描けないこと、工程の前後をしっかり抑えていかないと画面が割れたり膠が腐ったり(笑)、何かと『待ち』が多いです。)


素早い人とそうでない人、行動することには変わりありません。

が、遅い人から見ると素早く、先行型の人はやはり眩しく頼もしく感じます。
そんな人の姿に牽引されて引っ張っていってもらっている感じがします。



人は誰しもが日常の闇や傷を何らか持って生きているのですが、この度の震災は今世代日本に住んでいる人が抱えた、共通した闇や痛みなのでしょう。



前回のblog内容の補足な事柄でした。
一年経った今、そんなことを考えながら、またひたすら日常、地道な制作に向かいます。

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