2012年3月22日木曜日

家から思いを馳せる3。

ご拝読、有難うございます。続きです。これで最後です。 

 日の出前まだ暗い時間、3時半頃に8合目を出発。お決まりの、ご来光パターンです。 そして鳥居をくぐって、頂上に。 今までずっと見上げて、「あともうちょっと、、、」と思わせぶりだった富士山の上は、人がいっぱい、登頂記念グッズなどの販売で、俗っぽかったです。 頂上ではペットボトル1ℓ水は1000円に。とんだボッタくりバー。 (沢が無いので仕方ないのですが) 登ったら降りるかと思いきや、ここで2泊。観測所の近くの山小屋に荷物を置き、剣が峰含め今度はお鉢巡り。お鉢巡り、とは火口縁を一周することです。 その際に、「お鉢絵巻」「富士から見た展望絵巻」のため、各所でスケッチ。
 ↑これは、スケッチで360°ぐるっと景色を繋げよう!という当時若かりし私の企画です。 お鉢巡りしているとき、火口の風景と、後ろを向いて富士から見える景色を描いたものです。(参考画像とスケッチ) 展望絵巻は雲海などで抜けている箇所もあり、何だかグダグダ感もありますが、よく見るどうやら繋がってました。

 




  話はそれますが、「若い頃は柔軟な頭」と巷で言われますが、 むしろ知識無く、一点のことに執着しがちで、頑固で、頭が固いんじゃないか、、、と思ったりします。  しかし執着が強くて若いバクハツ的な体力やパワーで事を成すときはあります。要するに無茶は出来るのでしょう。 

 一度だけこれを起こして絵にしましたが、未熟で、絵に成りきらないモノになってしまいました。 今このスケッチ群を見ると、今だったらもうちょっとカッコよく表現出来そうな気もします。 
グルっと一周、一日がかりでゆっくり周り、各所でスケッチ。確かに歌通り、四方の山を見下ろす。 そして見渡しても富士山の無い展望(当たり前ですが)。 今までの行程を労い、成果に堪能。 天気は抜群に良いが、夕方からは雲が多く、夜半は雨、土砂降り。

 翌日は帰途に至ります。 御殿場口から、駆け抜けるように降りました。帰るのはあっという間。 お疲れ様、バイバイ、て感じであっさりと。   


 当時の旅行の一部を思い返してみました。 どの道一人遊びで、当時は旅行ですが、今は室内で絵を描く一人遊びです。 完全インドア生活ですが、脳内だけでも意識を外に飛ばせると良いです。 因みに時刻表とか好きです、あと地図も。 さて、現状の仕事に戻ります。 この部屋でも、壮大に妄想して、旅行分位の行程を絵に付加できれば良いですよね。

2012年3月18日日曜日

家から思いを馳せる2。

続きです。 

 前置きですが、静岡県人は富士山へ並々ならぬ愛情と関心を持って生活しています(ウソ)(ちょっとホント)。 
山越しに急に見える富士は、円谷プロ制作のウルトラマンのビル越しの見え方と一緒。 判っていつつも、驚きと畏怖が常にあります。 
高校受験時には、10月末から11月始めの初冠雪の時期、「富士山に雪が積もると、うかうかしてはいられない」と社会の先生の言葉でした。 
 

富士登山2日目。一泊目奥庭小屋付近、天狗の庭と言われる展望台は森林限界地域、ちょうど高山と亜高山の境目で植生も面白く、トンネル状になったハイマツなど、綺麗な、変わった針葉樹のオンパレードで、今でもとてもよく覚えていて、また行きたいところの一つです。鳥がすごく沢山いて、足にまでぶつかってきたくらい。 (参考画像)

この付近、富士5合目をグルッと回る「お中道」なる登山道のことを少し。 

 *ここからは、別の旅行で行ったお中道巡りの話が少し被っていきます。 

 大沢崩れという富士西斜面の大崩落地帯は通行禁止ですが、富士山は頂上の「お鉢巡り」と5合目の「お中道巡り」2つの円に沿って回るルートがあり、登山道もあります。 ですが、恐らく吉田口から東ルート、須走り口・御殿場口のお中道付近は、ルートがはっきりと確実でないゾーンがあるかと思います(今は分りません) それと大沢崩れの箇所は通行禁止なので、今はグルッと一周、は出来ません。 吉田口5合目→大沢崩れまではしっかりとした登山道がありました。時間は片道2時間位? 

よく「2度登るバカ」と言いますが、私もその後また登ったバカで、夏の4泊5日「一合目から富士」以外に、晩秋・11月・紅葉真っ盛りの時に大沢崩れまでのお中道と、合計三度頂上に登りました。 初回のこの山行では頂上で2泊しているので恐らく登頂は繰り返している可能性があります💦

バス停御庭から大沢崩れまでのルート。 途中は紅葉も相まって凄く綺麗。針葉樹の林の中を、まずまずラクなアップダウンの中歩きます。 大沢崩れは静岡側からでも目視出来るほどの大きな崖。遠くからは幅広い溝に見えます。(参考画像) 崩落が激しく、展望台は安全ですが、行った時も岩がガランガランと転がっていくシーンを見ることが出来ました。その中に凛と立つカモシカ、、、。(いるんですね)(展望台からの参考画像) 


11月の富士登頂は、8~9合目付近から上はもう完全なアイスバーンでした。 その頃持っていた、12本爪のアイゼンを活用して、あと鉄の手すりパイプや鎖も道に沿ってあるので、装備さえしっかりしていれば登れます。(かなり強風でしたが) 最後の鳥居をくぐって登頂したら、外国の方の先客がいました。
「グレイト!」「ビュディホー!」「ファンタスティック!」などの英語わかりやすい言葉責めで、個人で雰囲気堪能がなんだか出来ず、少しがっかりした思い出があります。 (すみません)
*別の山行の話でしたが、それ位お中道、富士2300m付近はとても良いところです。 


 さて、2日目はお中道西の滑沢で引き返し、8合目の山小屋まで。
スバルラインの終点、土産モノ屋さんなど大世俗ポイントを抜け、ここからの富士は低灌木地帯も過ぎ、ずっと火山の岩と砂、隠れるところも無く、ただただ高度を稼ぎます。
 途中振り返ると見えなかったものが見えてきたり、今まで歩いてきたところが一望出来たり、少しだけ新鮮。
 装備は山小屋では食事付宿泊だったので、リュックの中はスケッチ道具と水とバーナー、食器、あと雨具や防寒着位でしょうか。しかし75ℓザックだったので、少々いかついいでたちです。恥ずかしいです。 女性一人旅は、若い頃はちやほやされますが、30歳近辺でフラフラしていると、「自殺なんじゃないか、、、?」と何かと周りを心配させがちです。なので、判りやすい外見で見られるように努めていました。

 長くなりましたが、8合目に16時位に到着、早めでしたが、雨も降ってきたし2日目はこの辺で。 8合目から1ℓペットボトル水の値段が700円に跳ね上がりました。 


 次回は頂上、、、!

家から思いを馳せる1。

最近は家の中で仕事していることが多く、外に行く、旅行する、といったことがまるでままなりません。 

 大学時代、大学出てからの20代後半から30代前半にかけては良く旅行に行きました。 割と一人が多かったです。 

 思い出深い旅行の一つに、国内では「富士山行」があります。 これは、「静岡県人だからこそ一度は登っておきたい」「日本画家になるもの登っておかねば」←(全部笑)ということで、当然付き合ってくれる人もいなく、個人で企画立てました。

 もうひとつのコンセプトは「登るならば1合目から」。

 本当は海から、海抜0mからの3776mを行きたいところでしたが割愛し、 それと「青木ヶ原樹海の中を行ってみたい」ということで、富士吉田口からでなく、精進湖口・赤池からの出発となりました。
 樹海の中は登山道はありますが、鬱蒼としていて、不気味です。 何よりも登山道の入り口が、「早まるな!」「命大事に」とか自殺防止の為の看板がやたらと目に付き、あんまり良い雰囲気ではありません。 時々道に天然の小さい風穴があったり(多分富士風穴近くからかもしれません)、急に宗教の道場が現れたり、大きいイノシシに出合ったりと、ちょっと怖かったのを覚えています。(↓参考画像です) 因みに平日だった、ということもあるのか、誰一人出会いませんでした。 

※風穴は地面に20cm位の亀裂のような穴が開いていて、そこから風が吹いている、といったような、ミニ風穴です。多分下が空洞なのでしょう。
 ※イノシシは、樹海の途中、少し開けて明るい林道に出てから出会いました。 遭遇する前、モノ凄いケモノ臭がして、「?!」てなった瞬間に行く手の林道にザザッと出てきました。 距離7mくらい? 怖くて、動けなかったです。 しばらく対峙してたら向こうから立ち去っていきました。 


 富士山は高度を上げるたび植生が変わっていくのもとても面白いです。 樹海を抜けると、綺麗な森が続きます。白樺や赤松でしょうか。車道を何回か横断しました。 この道は明るくて、鳥なども多く、気持ち良かったのを覚えています。 それすらも抜けていくと高山の雰囲気になっていきます。
(参考画像)

針葉樹が出始めて来るとやっと一泊目の小屋、奥庭小屋(2300m)に着きます。 
富士登山は5合目に朝到着し、一気に上る日帰り登山が可能でメジャーですが、 私は4泊5日のゆとり登山でした。 


 2に続きます。

2012年3月12日月曜日

支援。

最近、東日本大震災支援についての事やその繋がりでの交流が増えました。

昨年からの支援企画展示に、2回参加させて頂きました。
一つは東京美術倶楽部によるチャリティオークション企画
もう一つは芸大OBによる亀井氏の企画、saposapo projectです。こちらはvol.3、4と参加させて頂きました。

先日は主人がsaposapoの繋がりで、支援先でもある、芸大油画科出身でsaposapoにも出品されていた庭JAPAN長崎さんのお手伝いと案内により、石巻に行って来ました。

家族や友人からの写真やレポートは、報道で知りえるものより一層実感が伝わって、生々しくリアルに思いました。きっと感性が共有出来ているので、間接的に少し実感出来るのでしょう。不思議な感覚です。


ボランティアに行っている人、積極的な方は、仕事はどうしているんだろう、と思っていました。
自分の仕事や家族がおざなりになっているのでは、ボランティアの意味がないのでは、
自分の領分が上手くいってないので逃避になってしまうのでは、とも思ってました。
大儀や頭で考え、「正しいこと」と思いすぎてボランティア自体が運動になってしまっている「運動家」にはそういう人も多いようなことを、本の知識で知っていましたこともあるかと思います。


でも、今回の震災で、すぐ行動に移せる方は、まず体が勝手に動いていってしまう方なのだと思いました。
そしてそんな人だからこそ家族や友人は付いていき、仕事もより一層充実していくループを感じました。



絵を描く人はすごく難儀だなあ、と思う所があって、客観視しよう、まず冷静になろう、と一拍置くクセが付いているのかもしれません。
クロッキーやドローイングなどは別として、「いいな」と思ったことやアイデアを思いつくまま急に描きだしたら、上手くいかないこともあることを知っているので、感情に揺さぶられないように、または自身を斜めに、シニカルに見るようなことを日常で行ってしまうこと多々あります。
上記に書かれた、ボランティアの人への考え方がまさにそうです。否定しているのではなく、人を助ける、助けたい、という気持ちの時もそういった思考が働いてしまいます。 

少なくとも私はそうです。良い意味でも悪い意味でも、感情的で、怖がりです。

絵を描くとき、どの方法が上手く一番伝えられるか、構図など、表現出来るかをしばし考えて、決まったらそれに向かってまた紆余曲折しながらも地道に進んでいく、カメのような歩みです。
(特に日本画の材料を扱っている作家は、絵具溶き、紙の裏打ちや箔押しなどの作業も多く、すぐに描けないこと、工程の前後をしっかり抑えていかないと画面が割れたり膠が腐ったり(笑)、何かと『待ち』が多いです。)


素早い人とそうでない人、行動することには変わりありません。

が、遅い人から見ると素早く、先行型の人はやはり眩しく頼もしく感じます。
そんな人の姿に牽引されて引っ張っていってもらっている感じがします。



人は誰しもが日常の闇や傷を何らか持って生きているのですが、この度の震災は今世代日本に住んでいる人が抱えた、共通した闇や痛みなのでしょう。



前回のblog内容の補足な事柄でした。
一年経った今、そんなことを考えながら、またひたすら日常、地道な制作に向かいます。

2012年3月7日水曜日

2012。

新年過ぎてもう春、桜の枝、芽がほころびかけている季節になりました。

blogを書くのをずいぶん怠り、期間が空いてしまいました。

FBやtwitterなど、ソーシャルメディアが増えて、そちらで告知や近況、想いなど書いてましたら、こちらがおざなりになってしまいました。

使い方を再考しないといけないですね。役割分担をしっかり決めないと。




もうすぐ3月11日になります。

東日本大震災のことは、私自身はsaposapoなどの企画に参加させて頂いたりして、日常のどこかに、切り離さないよう、誰しもが何かしら小さなことでもアクションを続けていることと思います。

色々忙しい日々をお蔭様で過ごしており、このところ色んな事をキャンセルしたり、と残念に思ったりすることがありますが、

そのやむ終えずキャンセルした事の一つに、東北被災地へ行く、というsaposapoの企画がありました。


主に支援先方の慰霊祭の設営のお手伝い、ということなのですが、

今も支援のために素早い行動を取る身近な人達がいて、本当に凄いな、と思います。


動いている方たちの健康と、被災地の方への想いを馳せながら
一年経ったことを考えたいと思います。





*絵を描く、というのは本当に地道な仕事で、時間もかかり、素早さに欠けるのが歯がゆくも感じますが、

そんなとき山を登っているときのことを思い出します。
足元を時々見ながら一歩一歩、確実に、足を踏み出してさえ居ればいずれは頂上に着く

一歩一歩 確実に


自分には出来ないことをひらりさらりとやっていける人の中で、
私は頑張っていけたらいいな、とも思いました。

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