色塗りメインです。
まずは下地にジェッソを塗りまして、
牛はブラックで。マットな仕上げで。
あとは台座付けて完成です。
この台座は西澤センセイに造っていただきました。
(鉄の細い棒(?)をねじってコイル状にしたものを大量に使い、とってもキレイな彫刻を作る彫刻家です。)





ぶーちゃんは赤塗ったあと、クリアラッカーをかけます。



ラッカーをかけるとつやつやにw
かなり異質な感じが出て良いです。
木彫ですが、サイバーな感じで、そのバランスも面白いところ。
本日搬入です。梱包も運搬も大変。結構大きいので。
雨も降ってくると予報では言っているし、まだまだ気は抜けませんが、
無事成功を祈って...。
実は平面作品も展示します。
これは見てのお楽しみ、ということで。
明日から
東儀悟史 個展 Livestock! 展
1月13日(水)~22日(金)
南青山 新生堂画廊 11:00~18:00(最終日17:00まで)
日曜祝日 休廊
長い長い告知でしたw
寒い時期、来られる方、どうぞ暖かくして、
どうぞ宜しくお願いいたします。
2 件のコメント:
「注目の東儀悟史先生の個展を鑑賞しました」
明快にして直截。会場に等身大の真っ赤なブタと黒い牛が各一頭ずつ堂々と鎮座。静謐な空間にブタと牛の鼻息だけが聞こえる。壁のイラスト中の制作過程の無色の木肌のブタはリアルでヌメヌメした生き物の生命感を漂わせるが、赤い塗料を塗った完成作品はまるでプラスチックの玩具のように美しく、ブタ小屋の中の汚い家畜のイメージはない。作者は「ブタも美しい」と言いたかったのか?否、多分、それだけではないだろう。
現代を生きる人間たちは命や実生活に直接触れることが出来ないか,触れたくない、触れることを忌避する、むしろ、インターネットやテレビの画面、活字を通してバーチャル化された虚像で成り立つ虚構の世界に向き合う(自分と対象との間に距離を置く)ことで安心する。(ブタはスーパーの肉塊としてしかこの世に存在しないかのように思いたがる)。真っ赤に美しく化粧されたブタは非現実の存在―バーチャル化された世界の象徴であり、作者が現代人に突きつけようとしたカリカチュア(風刺)なのだろう。
この展覧会では壁のイラストも完成された独立作品になっている。コンピューター・グラフィックの技術を駆使して幾色ものブタの立体コピーが組み合わせてある。何頭ものカラフルな玩具のように可愛らしいブタたちが円陣を組んで頭を寄せ合って何やらヒソヒソ話し合っている。
楽しいピクニックのおしゃべりなのか?否、楽しい話題であるはずがない!謎を解く鍵は題名にある。「家畜たちのコングレス(議会)」、それに「PORK」と「BEEF」という文字も見える。これが彼らの議会の焦眉の審議の議題に違いない。「PORK」と「BEEF」つまり、彼らは生きとし生ける楽しい生き物としてではなく人間たちの食用に供される肉塊となるべき自分たちの運命について話し合おうとしている。彼らだってかくも過酷な不条理(理不尽)な境涯に満足しているはずがない。人間たちへの反乱を計画しているのだ!犬やネコは人間たちに可愛がられる(時には愛情をこめて絵にも描かれる!)というのに、ブタにはトサツ(私のワードでは漢字変換ができない、字さえ非現実化されてタブーなのか?)の未来しかない。イルカやクジラを保護するグループはオーストラリアには大勢いるらしいが、「ブタを守ろう」という運動は寡聞にして聞かない。(このままでは彼らだって圧制に立ち上がってアルカイダと手を組みかねないのだ!)
まさしく、東儀悟史先生の問題意識は個展のタイトルに如実に表現されているではないか。「LIVESTOCK」(家畜)―食材としての生きたままの在庫品という原意。日本語の家畜の「畜」も「蓄(たくわ)える」が原意、狩りに行かずとも家に蓄えておいていつでも食べられる食材としての生き物という意味である。ブタも牛(土地によっては使役動物)も何万年もの昔から生き物としてのあるべき地位も権利も認められず不当な扱いを受け続けてきた。東儀先生はこの点に正しく注目したのだ。LIVESTOCKをこんなに優しい愛情をこめて見守ってくれることに家畜たちはきっと感謝しているに違いない。
それはそれとして・・・
作品のブタも牛もマイヨールの裸婦像のふっくらとした明るい生命の歓喜、セクシーな柔らかな情感を生き生きと感じさせる。それは言うまでもなく東儀悟史先生の彫刻家としての確かな造形力と豊かな感性の証しであるのだとあらためて実感した。制作、お疲れ様でした。
(墨桜 2010年1月16日)
匿名さま
コメント、有難うございます!本人に代わって私がお返事書いてます、失礼いたします。
個展にお越しくださいまして有難うございました!会場に居ました作家とお話出来ましたでしょうか?不在のときも何日かありましたので、もしお会い出来なかったようでしたら申し訳ありません。
作家は言葉が上手くないので造ることしか出来ないのですが、匿名さまのように文で表現出来るのは、素晴らしいですね。本人談「良く見てるな~...」と言ってました!作家が小さい頃から絵を描いたり造るのが好きだったりと同じように、文章の上手い方(こちらも作家さんですねw)は本をずっと読んでいたりしたんだろうな、と想いを馳せてしまいました。
造るのは好きですが、思っていることをどう造るか、そして伝わるようにするかが私たちの悩むところです。
皮肉めいたものの見方の中にも愛情を感じたり、不合理なことには疑問や怒りも感じますが、なぜか可笑しみに転じたりすることもあります。そういうバランスが、作品に調和として出ると良いな、と常々思っております。
いつも有難うございます。またどうぞよろしくお願いいたします。
コメントを投稿