私は、というか日本画の人はおよそアトリエをこまめに掃除していることと思いますが、
(箔扱ったりするし、ちらかっていると何よりこぼしたりなど、事故が多発してはいけないので)
夫は 履いた靴下を洗濯物籠に入れない星 から来た、もしくは、 ゴミをゴミ箱に入れない星 から来た星人なので、
片付けをする、大掃除をする、ということが本当に珍しいです。
片付け前の混沌とした写真が撮って無かったのが残念ですが、片付け後こんな風になりました。
海外のサイトとか見て、研究したそう。
さて、これを維持出来るか、が長き道です。
頑張れますように(^^)/~~~
4 件のコメント:
日ごろご無礼ばかりで申し訳ありません。お久しぶりです。お変わりないご様子、なによりです^^
informationでステキなニュースを発見!
10月15日~21日、松坂屋名古屋画廊で展覧会があるのですね!!
お伺いしたいです!!
詳細など、お教えいただければ幸いです。
こちらは皆変わらず過ごしております。
小学校教員となった長男は、行事の多い二学期を忙しくも楽しく過ごし、大学生の双子がバラバラと帰省していた昨今。
大学のよさこいサークルに入っている次男が、8月末に名古屋で行われた「ど真ん中祭り」に参加したのですが、まだ暑さ残る中、二日間追っかけを楽しめたほど、母もとても元気です^^
南青山・新生堂の「珠玉の絵画展」を拝見させていただきました。
このあたりはファッション性の高い瀟洒な洋品店やレストラン、カフェが
軒を連ねて賑やかで活気がある。
でも、埃くさい野暮な骨董店がほとんど姿を消してしまったのはとても寂しい。
それでも大通りを少しだけ脇に入った新生堂のあたりはひっそり閑としている。
そこで東儀恭子先生の作品「追ウモノ」、「追ワレルモノ」を
鑑賞させていただきました。
小品だから近寄って まじまじ、しみじみと眺める。
小品だからこそ、そうやってじっくりと眺めることができる。
小さな作品にはそうした鑑賞の愉しみもある。
そうやってじっくり眺めると小さな作品が大作のように大きな世界に
つながっていることがよく理解、あるいは想像できて、それが愉しい。
二つの作品には他の誰でもない、
やはり、東儀恭子先生の独自の世界が広がっていた。
淡いレンガ色の紙の地色がそのまま画面に残っている。
それが絵の一部、色彩を浮かび上がらせている。
余白はいつも白とは限らない。
画面は塗りつぶされてはいない。
輪郭も輪郭としては描かれていない。
色彩がそれぞれに明快に自己主張し、
強弱の間合いをとりながら調和している。
画題や対象に従属せず、それらしく描こうとしていないところは
素人の私にもよくわかる。
画家は画面の中では万能、全能の神である。
自分の思う世界をそこに現出すればよいのだから。
追ウモノの二つの目の色が違っているのも、
手前の氷河の鮮やかな断面の白と緑の美しいナダレも私には気に入った。
追ワレルモノの のっぺりとした顔と穏やかな、眠っているような眼差し。
羊というより、
悪い夢を喰んで生きるというバクという空想の動物を連想した。
首のあたりの白は何だかバクが喰んでいる夢のようにも見えてくるから愉しい。
それなのに半月の角はナイフのように鋭く輝いている。
内に秘めたる強靭な精神か、あくがれる遼遠なる理想郷の誘いの光か。
羊の、バクの、あるいは作者の。
私はいつもの悪い癖で脇道に入り込んで考える。
追ウモノは実は追ワレルモノだ。
生きるために獲物を捕らえなければならない、
働かなければならない、
何かをなさなければならないという義務や強迫観念を常に抱くがゆえに、
生きるということは根源的に追われているのかもしれない。
一方、追ワレルモノは実は追われてはいないのだ。
捕えられようと殺されようと、
所詮、生きるということはそこに尽きるだけのこと。
生きている間は悠然として夢を喰んで、無為にして自足している。
前回のサポサポ展には、残念ながら所用で行けなかったので、
今回、久しぶりに作品を拝見させていただき大変ありがとうございました。
色彩の扱いで今まで拝見させていただいた様式とは違うものを感じましたので、
もしかしたら、新しい境地へのスタートではないかと勝手に予感し、
期待をさらに膨らませつつ声援を送らせていただきます。
薄着の悟史先生ともども、くれぐれも お風邪など召しませぬように。
( 老いたるバク )
20141101
きよみ様
観に行って頂いて、有難うございます!あとお手紙も無事届きましたよ~
皆さんお元気で何よりです!お子さんももう大学生、就職と、どんどん成長されているのですね、月日と早さを本当に感じます。お母様もお元気で何よりです!
私たちの方も、静岡の父母も、主人も元気です。健康が一番です。
また展示の時お知らせいたします、本当にいつも有難うございました!
御礼まで
東儀恭子
匿名(Anonymous)さま
いつも観に行って頂いて、本当に有難うございます。
最近は自身の絵のコメント、というよりはこの文章を、文体を、お考えを楽しみにする私がおります。
色々なことをお考えになられていて、ご自身「脇道にそれて」という思考もとても面白く拝読しております。
知識の引出しが幾つもある、というのはとても羨ましいことで、
思考が右左、時系列も上下、時間や空間またぎつつも、でもまたふと戻ってこられる、(しかも一つの絵を見るだけで!) このことは本当に人として羨ましくあり、未熟な自分も(出来れば何割かは)そういう人に追い付きたい、なりたい、と思ったり、こういうのが若さの秘訣だったりするんだな、と感じたりします。
色々なことを想って描いてますが、最近とみにまた色々想っております。貴方様が仰る通り、私も私自身に勝手な予感、良い方に転べば良いな、と思ってます。
健康には気を付けたいものです。外観はともあれ、私は健康なのですが、悟史さんは心配です。(特に何がある、とかではないですが、最近発覚した高血圧は心配です) しっかり体調管理はしていきたいです。
私が変わるのが先か、お隣の猫が私になつくのが早いか、楽しみに切磋琢磨したい所存です。
(なつくのはどう切磋琢磨して良いモノか(笑))
重ねて、有難うございました。
御礼まで
東儀恭子
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