2011年6月27日月曜日

6月。

すっかり6月半ば、もう梅雨真っ盛り、もうすぐ明けるかも?位の時期になっています。
夏の展覧会に向けて、6月は本当に忙しい毎日です。まだまだ続きますが。


こまめにアトリエを掃除中。
どうも綺麗にしていないと、仕事の進みが悪い、気の入りが悪い感じあり。
絵皿の位置とか、寒色・暖色や素材ごとにちゃんと分けたり、
梱包するゾーン、描くゾーン、画面乾かすゾーンとか
筆洗する水も明るい色、暗めの色、とボール分け
物を置く場所も大体決まっています。一ミリと違ってはいけない!とは言いませんが。

集中する時はそんな儀式めいた過程はいらない、と誰かが言ってた気がしますが、
私は頭の中を整頓するように部屋の中も整頓されてないとダメみたいです。

そんなわけで制作の区切りや始める前は掃除片付けをこまめに。
(しかし、ものすごく綺麗なわけではありませんw)




乾きが悪く、絵具の食いつきも非常に悪くなるこの時期。
ホントは日本画はこの時期は描いてはならない、というのが昔からの定説です。
下地の時、いつもより配慮して分量調合したり、溶き、練りをしっかりしておくなど、
仕事もなんかいつもよりひと手間多くなります。




犬を描いてて、改めて思うこと。

犬をはじめ動物を描いてますが、
犬は本当に種類が多いですね。続々と違う犬種も出てきます。
実はそういう「違い」も面白く感じています。

サボテンなど多肉植物や、金魚にも同じ思いで描いてた事ありました。
地域差で形状が変化していったり、人間の手が入って交配してまた分科していく種があったり。
交配については人為的にやることなので嫌悪抱く方もいるかと思いますが。それは別の「感情」として、
この種の多さと違いは魅力に繋がっていきます。
骨格、形状、それによる能力差。
例えば狩の用途で作られた、といってもその中で穴堀が得意、追跡が得意、大型動物用途な種がいたりなど
お国柄や寒暖差でもまた違ってきたり。
それでいて犬は更に植物と違って性格差が出てきて、
またその中でも個性が出てくるから、また面白いところです。

描く側からこその俯瞰した目ならでは、でしょうか
犬ユーザーさんとはまた違ったお付き合いをしているようで、これはこれでまた楽しいです。
なんですかね、旅行しているような楽しさと少し似ている気がします。
銀河鉄道999の、星を巡っているような感じ?一つ一つ物語りが違うのを楽しむような。
それか浮気しまくる男の気持ちでしょうか。女の子大好きだけど一人に決められない!みたいな
→そんな気持ち実際は判りかねますが(笑)


ただただ、徒然と、6月終わりに。
 

3 件のコメント:

よしむら きよみ さんのコメント...

名古屋の吉村です。
例年にない早さで梅雨も明け、青空とともに入道雲を見上げる毎日。暑さも本格的になって参りました。
先日、名古屋にある「ヤマザキ・マザック美術館」の「ブローガーデー」なるイベントに参加し、美術館の閉館後に学芸員さんから展示物の詳しい説明を伺う機会を持つことが出来ました。
その時に学芸員さんが、ピカソやシャガールなどの近代の絵画の絵具は未だ乾ききってはおらず、今も呼吸をしていると話して下さいました。
恭子さんが6月に描かれた絵も、きっと雨の匂いや梅雨時の花々の香りをも吸い込んで、一層瑞々しい美しさを放っているのでしょう。
真夏の暑さの中での作成もまた大変なことがおありかと思います。
どうぞお体にお気を付けてお過ごし下さいね。
私は高校球児である次男の試合の追っかけで、真っ黒になっております(><)
7月、8月は子どもたちにとって大事な行事も多く、夏休みも相変わらずバタバタしそうです。
こんなブログをやっております。お時間がある時、よろしかったらいらしてくださいね。
   ↓
ヤフーブログ 「MAKE IT TRUE~僕らが掲げる夢」
http://blogs.yahoo.co.jp/victory3kids/52315216.html

匿名 さんのコメント...

夏の大きな台風が海の上をすり抜けて
涼しい空気が久しぶりに戻った日に
日本橋・高島屋で
東儀恭子先生の作品を鑑賞しました。
「日月抄」と「海彦、山彦、宝探し」。
「日月抄」の身構えた硬いきりりとした感じと
「海彦…」の柔らかな優しい眼差しの対比が面白い。
画題は謎々がだんだん難しくなってきた印象を受けました。
太陽と月は同じく天空より地上を照らすけれど
あらゆる点で違っている。
太陽は自ら光りを発しているのに
月は太陽の光りなしには姿を現わすことすらできない。
太陽は生き物を育んだり、すべてを灼きつくしたりもする。
月は成すことなく、ぼんやり青白い顔をして満ちてさえ冷たい。
それでも日本人が月をめでて、詠うのは
それが
夜毎に満ち欠けて移ろう姿の無常に心ひかれるからか。
それとも
人は太陽の明るさだけでは生きられない、
人は心の中に窺い知れない密やかな闇や襞を
抱えているからなのか、
月のように。

日と月はともに時の中を歩む日常、
日と月の物語は日常生活の物語でもある。
古代、日本人は日と月を崇めてひとつのものとしてめでた。
美しい玉から刻み出された勾玉(まがたま)として。
ところで、
インドの神話の世界には太陽でも月でもない女神がいる。
それは暁の神=ウシャス。
夜と昼のつかの間に現れて、朝の光りの中に姿を消す。
恋人の太陽神スーリャの腕に抱かれて溶けて消えるけれども
次の夜の終わりにはよみがえる。

東儀恭子先生の絵の中で主題の犬を取り巻いているのは
余白や空白ではない。
そこにはのびやかな空気がひろがっている。
小さな草が風に揺れたり、
貝たちが遊んだりする、
小さな星を被う空気や地表がひろがっている。
      (銀河のかけら 20110723)

東儀恭子 さんのコメント...

一ヶ月遅く返信! 本当に申し訳ありません、個展の準備と公募が重なり、今夏はナケナシの根性をフルに使って毎日制作しておりました。佳境時はもう寝る暇もなく、食事もアトリエでオニギリ、ドリンク剤付という有様、、、この生活スタイルの付けが今後の人生のどの辺りかで体に出てくるか、とヒヤヒヤしてます。
いつもご高覧下さり、本当に有難うございます。物書きさんならでは、タイトルへの関心の深さに、こちらも背筋をピンと張る感覚でおります。「日月抄」は私の造語です。二面性、だけでは物事はないと理解してますが、割り切りの思考の後にグレーゾーンがあぶりだされる、そんな構造のことを考えながら制作しております。
「海彦山彦」は海山の幸と、あと今回の震災のことを想い描きました。こちらは「山」もいずれ描く、というつもりで。海にも山にも恵まれて、しかし時にあんな猛威を揮われる、それでも海山の中で育まれ、暮らす私達日本人。柴は日本の象徴として登場。絵を背景からみるのもよし、主人公柴犬から見るのも良し、て絵です。

家のことをずっとずっと怠っていたのですが、やっとまともな生活に戻りました。色々ご心配お掛けいたしますが、バランス良い生活を送るよう、これまた日々精進です。また今後とも、宜しくお願い致します。またご指導、ご鞭撻の程、何卒どうぞ宜しくお願い申し上げます。

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