絵描きの、おもに絵 日本画のこと 家の日常のこと。 彫刻家のことも時々。
「花と香を 少し残して プチ庭も 夏に装い 吹く青葉風」立派な剪定ぶりですね。か弱き芸術家さん、力仕事お疲れさまでしたね。 (20110528 どこ吹く風)
一句ありがとうございますw まだまだ合間見計らってやりたいのですが、なんだか早々台風接近中のこと。とりあえず過ぎてからの開始になりそうです。。。
名古屋の吉村です。ご無沙汰しております。3月の地震の時、大変な思いをされてみえるだろうと思いつつも、ご無礼して申し訳ありません。お元気な様子、うれしく読ませていただきました。トップの絵、またまた優しく素敵ですね!ワンちゃんの寝顔・・・癒されます~。ピンクや赤い花の春の季節が過ぎ、蒼く瑞々しい花の季節となりました。街角の紫陽花や、田の畔の花菖蒲の美しさに思わず足をとめて見入ってしまいます。お庭に緑があるのって素敵ですね!前の記事も読ませていただきましたが、雑草、私も好きです。雨上がりの日など、露おびて活き活きと伸びている様を見ると、命の美しさを感じてしまうほど。それから草の匂いも。。。植物の匂いや、雨の街の匂いって、その時の思い出とともに、心に残っていくような気がします。恭子さんが描かれた海辺のワンちゃんの絵からは、潮の香りが感じられました。素敵な絵の数々、また楽しみに観させていただきます^^
吉村様近況のご連絡とご挨拶、またお気に掛けていただき、有難うございます。関東圏は間接的な災害、思い返せば交通網や大規模な停電などありましたが、現在はそんなに変わらぬ日々を送っております。それがまた怖くもありますけど。。。コメントも有難うございます!草の香り、共感します。切花も美しいですが、日常にふとある草花は何だか幼い頃から親しんできたものなので、色んな想いが相まって見てしまいますよね。梅雨は美しいものでもあります。そんな梅雨は今年は早く上がりそうな気配。沖縄はもう上がっているとか?そんな意味でもこの時期、本当は湿気も多く、画面は乾きにくく膠も腐りやすい(防腐剤入ってないので)制作には実は不向きな時期ですが、テンション高く家で仕事してます。剪定も草むしりもしつつ(笑)またHP、観に来てくださいね。希代美様ご家族の皆様、どうぞくれぐれもお体にはお気をつけ下さい。
梅雨の薄日さす某日、青山の「空会」展を見に出かけました。ゼロ号の小品を集めた展示会ながら見ごたえがあった。小さな作品の中に「空海」の大きな世界を感じることができる作品が多かった。ゼロも「空」も微小にして無限。心は自在に空海の中にあり、変幻する。大きな作品よりも小さな作品の中に作者の意匠(心)や技術が凝縮していて自分のような素人にはわかりやすい。東儀恭子先生の「月に映える」をじっくりと拝見。萩原朔太郎の詩「月に吠える」が画題の裏にあるのか興味深かった。たなびく幾層もの色彩は目の悦び。どこが野で、どこが山で、どこが空であるのか、そんなことはどうでもいい。そこに空海の大自然の世界がある。山の端にのぞくかたぶく月は銀色か、金色なのか、室内の明かりの光源しだいで自在に映る。それこそ自在の世界のありようなのだ。そこに棲む犬には大きな存在感があった。「萎るるに 背筋のばして 花あやめ」隣家の軒下も梅雨のしずくに濡れる。(110612 晩花)
いつもご高覧頂き、本当に有難うございます!コメントも詩表現を織り交ぜた美しい文体、音読するとより綺麗な、こちらとしてはその才の方が羨ましくも感じます。物書きさんはさすがに言葉をより知って、使えるのが羨ましい限りです。大きい作品も色々なことがやれて楽しいですが、小さな作品もその中でどこまでやれるのか、限界を探しながら作れるのが面白いです。美しいコメントに面映くもありますが、今後もこの言葉に相当するような作品を作れるよう頑張りたいと思っております。このたびは重ね重ね、誠に有難うございました!
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6 件のコメント:
「花と香を 少し残して プチ庭も
夏に装い 吹く青葉風」
立派な剪定ぶりですね。
か弱き芸術家さん、力仕事お疲れさまでしたね。
(20110528 どこ吹く風)
一句ありがとうございますw まだまだ合間見計らってやりたいのですが、なんだか早々台風接近中のこと。とりあえず過ぎてからの開始になりそうです。。。
名古屋の吉村です。
ご無沙汰しております。3月の地震の時、大変な思いをされてみえるだろうと思いつつも、ご無礼して申し訳ありません。
お元気な様子、うれしく読ませていただきました。
トップの絵、またまた優しく素敵ですね!
ワンちゃんの寝顔・・・癒されます~。
ピンクや赤い花の春の季節が過ぎ、蒼く瑞々しい花の季節となりました。
街角の紫陽花や、田の畔の花菖蒲の美しさに思わず足をとめて見入ってしまいます。
お庭に緑があるのって素敵ですね!
前の記事も読ませていただきましたが、雑草、私も好きです。
雨上がりの日など、露おびて活き活きと伸びている様を見ると、命の美しさを感じてしまうほど。
それから草の匂いも。。。植物の匂いや、雨の街の匂いって、その時の思い出とともに、心に残っていくような気がします。
恭子さんが描かれた海辺のワンちゃんの絵からは、潮の香りが感じられました。
素敵な絵の数々、また楽しみに観させていただきます^^
吉村様
近況のご連絡とご挨拶、またお気に掛けていただき、有難うございます。関東圏は間接的な災害、思い返せば交通網や大規模な停電などありましたが、現在はそんなに変わらぬ日々を送っております。それがまた怖くもありますけど。。。
コメントも有難うございます!草の香り、共感します。切花も美しいですが、日常にふとある草花は何だか幼い頃から親しんできたものなので、色んな想いが相まって見てしまいますよね。梅雨は美しいものでもあります。
そんな梅雨は今年は早く上がりそうな気配。沖縄はもう上がっているとか?
そんな意味でもこの時期、本当は湿気も多く、画面は乾きにくく膠も腐りやすい(防腐剤入ってないので)制作には実は不向きな時期ですが、テンション高く家で仕事してます。剪定も草むしりもしつつ(笑)
またHP、観に来てくださいね。
希代美様ご家族の皆様、どうぞくれぐれもお体にはお気をつけ下さい。
梅雨の薄日さす某日、
青山の「空会」展を見に出かけました。
ゼロ号の小品を集めた展示会ながら見ごたえがあった。
小さな作品の中に「空海」の大きな世界を
感じることができる作品が多かった。
ゼロも「空」も微小にして無限。
心は自在に空海の中にあり、変幻する。
大きな作品よりも小さな作品の中に
作者の意匠(心)や技術が凝縮していて
自分のような素人にはわかりやすい。
東儀恭子先生の「月に映える」をじっくりと拝見。
萩原朔太郎の詩「月に吠える」が
画題の裏にあるのか興味深かった。
たなびく幾層もの色彩は目の悦び。
どこが野で、
どこが山で、
どこが空であるのか、
そんなことはどうでもいい。
そこに空海の大自然の世界がある。
山の端にのぞくかたぶく月は
銀色か、
金色なのか、
室内の明かりの光源しだいで自在に映る。
それこそ自在の世界のありようなのだ。
そこに棲む犬には大きな存在感があった。
「萎るるに 背筋のばして 花あやめ」
隣家の軒下も梅雨のしずくに濡れる。
(110612 晩花)
いつもご高覧頂き、本当に有難うございます!
コメントも詩表現を織り交ぜた美しい文体、音読するとより綺麗な、こちらとしてはその才の方が羨ましくも感じます。物書きさんはさすがに言葉をより知って、使えるのが羨ましい限りです。
大きい作品も色々なことがやれて楽しいですが、小さな作品もその中でどこまでやれるのか、限界を探しながら作れるのが面白いです。
美しいコメントに面映くもありますが、今後もこの言葉に相当するような作品を作れるよう頑張りたいと思っております。
このたびは重ね重ね、誠に有難うございました!
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