日の出前まだ暗い時間、3時半頃に8合目を出発。お決まりの、ご来光パターンです。
そして鳥居をくぐって、頂上に。
今までずっと見上げて、「あともうちょっと、、、」と思わせぶりだった富士山の上は、人がいっぱい、登頂記念グッズなどの販売で、俗っぽかったです。
頂上ではペットボトル1ℓ水は1000円に。とんだボッタくりバー。
(沢が無いので仕方ないのですが)
登ったら降りるかと思いきや、ここで2泊。観測所の近くの山小屋に荷物を置き、剣が峰含め今度はお鉢巡り。お鉢巡り、とは火口縁を一周することです。
その際に、「お鉢絵巻」「富士から見た展望絵巻」のため、各所でスケッチ。
↑これは、スケッチで360°ぐるっと景色を繋げよう!という当時若かりし私の企画です。
お鉢巡りしているとき、火口の風景と、後ろを向いて富士から見える景色を描いたものです。(参考画像とスケッチ)
展望絵巻は雲海などで抜けている箇所もあり、何だかグダグダ感もありますが、よく見るどうやら繋がってました。
話はそれますが、「若い頃は柔軟な頭」と巷で言われますが、 むしろ知識無く、一点のことに執着しがちで、頑固で、頭が固いんじゃないか、、、と思ったりします。 しかし執着が強くて若いバクハツ的な体力やパワーで事を成すときはあります。要するに無茶は出来るのでしょう。 一度だけこれを起こして絵にしましたが、未熟で、絵に成りきらないモノになってしまいました。
今このスケッチ群を見ると、今だったらもうちょっとカッコよく表現出来そうな気もします。
グルっと一周、一日がかりでゆっくり周り、各所でスケッチ。確かに歌通り、四方の山を見下ろす。
そして見渡しても富士山の無い展望(当たり前ですが)。
今までの行程を労い、成果に堪能。
天気は抜群に良いが、夕方からは雲が多く、夜半は雨、土砂降り。
翌日は帰途に至ります。
御殿場口から、駆け抜けるように降りました。帰るのはあっという間。
お疲れ様、バイバイ、て感じであっさりと。
当時の旅行の一部を思い返してみました。
どの道一人遊びで、当時は旅行ですが、今は室内で絵を描く一人遊びです。
完全インドア生活ですが、脳内だけでも意識を外に飛ばせると良いです。
因みに時刻表とか好きです、あと地図も。
さて、現状の仕事に戻ります。
この部屋でも、壮大に妄想して、旅行分位の行程を絵に付加できれば良いですよね。

3 件のコメント:
少し遅れた桜の開花がしきりに気にかかる穏やかな日和りの3月29日、
日本橋三越で開催された春の院展を見に行った。
出展の東儀恭子先生の「隠(こも)り国(く)」の作品を鑑賞した。
近年、注目されたSF風の環境擁護の映画「アバター(Avatar―
インドのヒンドゥー教のヴィシュヌ神の化身、権化)」は
南半球のニュージーランド周辺のどこかの島々の
鬱蒼たる幻想的密林のイメージだったと記憶している。
東儀先生の「隠り国」の密かな森は幸いなことに
人間の開発や欲望から遠く離れ生き物にやさしく平和な心に充ちている。
人界を離れた奥深い山中の静謐な世界。
一頭の鹿は森が育む生きとし生けるものたちの守護神であり、
森そのもの。そして、作者の慈しみの眼差しそのもの。
画面の上方から中央に金色の日の光りが滝のようになだれ降りそそいでいる。
それによってこの密やかな慎ましい自然界の一隅が
天に祝福されていることが示されている。
光りに透けて舞う小鳥たちはこの世界に生きるものたちの歓喜。
鹿の目の中の一点の碧、耳裏の朱が赤い実とともに画面をひきしめて心にくい。
艶である。作者の感性である。
上部から広がる蔦などのすがれた葉たちはスモモの一品種ハタン杏の肌のような
淡い紅をとどめてやわらかな雰囲気を醸し出しているようで私には親しく感じられた。
左下の黒々とした部分は陰になった古木の幹とも苔むす湿った岩根とも測り難い。
これが画面全体を引き締めている。
芸術家魂を大胆に主張している。これこそ作家の真骨頂のひとつだと感じた。
ついでながら、「隠り国」という画題も万葉集を連想させて絵に深みを増していた。
「こもりく」は「人目につかない隠れた場所」を意味する上代の奈良時代からの言葉で
大和の泊瀬の地名の枕詞にも用いられたらしいですね。
こもりくの豊泊瀬道は常滑のかしこき道ぞ恋ふらくはゆめ。
(万葉集巻十一 二五一一)
註、山にかこまれ美しい泊瀬(はつせ)へ行く道は(泊瀬川が流れて水苔で)
ずっとなめらかで滑りやすい、こわい道ですよ。
恋することは(こわいですよ)十分、注意してください。
隠口(こもりく)の泊瀬の山の山の際(ま)にいさよふ雲は妹(いも)にかもあらむ。
(巻三 四二八)
註、山深い泊瀬の山になびく雲はあの娘子の火葬の煙なのであろうか―柿本人麻呂。
こもりづ(処)の澤たづみなる石根(いわね)ゆも通しておもふ君に逢はまくは
(巻十一 二七九四)
註、隠れた水、澤にこもり湧く水が石根(岩)を通し流れるように一途に思っています。
あなたに逢うまでは。
類歌―こもりどの澤泉なる石根をも通してぞおもふ吾が恋ふらくは。
(巻十一 二四四三)
註、隠れた処(ところ)にある澤の泉にある石根(岩)すら通すようにあなたを一途に恋しています。
「宝樹」の向こうに見えていた広々とした明るい地平に向けて
「鹿」が確かに進んでいることを実感してとても嬉しかったです。
お疲れさまでした。
20120331 桜の木の下の草
少し遅れた桜の開花がしきりに気にかかる穏やかな日和りの
3月29日、日本橋三越で開催された春の院展を見に行った。
東儀恭子先生の「隠(こも)り国(く)」の作品を鑑賞するために。
近年、注目された環境擁護のSF風の映画「アバター(Avatar
―インドのヒンドゥー教のヴィシュヌ神の化身、権化)」は
南半球のニュージーランド周辺のどこかの島々の
鬱蒼たる幻想的密林のイメージだったと記憶している。
東儀先生の「隠り国」の密かな森は
幸いなことに人間の開発や欲望から遠く離れて
生き物にやさしく平和な心に充ちている。
人界を離れた奥深い山中の静謐な世界。
一頭の鹿は森が育む生きとし生けるものたちの守護神であり、
森そのもの。そして、作者の慈しみの眼差しそのもの。
画面の上方から中央に金色の日の光りが
滝のようになだれて降りそそいでいる。
それによってこの密やかな慎ましい自然界の一隅が
まさしく天に祝福されていることが示されている。
光りに透けて舞う小鳥たちはこの世界に生きていることの歓喜。
鹿の目の中の一点の碧、耳裏の朱が赤い実とともに
画面をひきしめて心にくい。
艶である。作者の感性である。
上方から広がる蔦などのすがれた葉たちは
スモモの一品種ハタン杏の肌のような枯れた淡い紅をとどめて
やわらかな雰囲気を醸し私の目には親しく感じられた。
左下の黒々とした部分は陰になった古木の幹とも
苔むす湿った岩根とも測り難い。
これが画面全体を引き締めている。
これこそ作家の真骨頂のひとつだと感じた。
実に芸術家魂を大胆に主張している。
いつもながら、
「隠り国」という画題も万葉集を連想させ絵に趣きと深みを与えている。
「こもりく」は「人目につかない隠れた場所」を意味する
上代の奈良時代からの言葉で
大和の泊瀬(はつせ)の地名の枕詞に多く用いられたらしい。
「こもりくの豊泊瀬道は常滑のかしこき道ぞ恋ふらくはゆめ」
(万葉集巻十一 二五一一)
註、山にかこまれ美しい泊瀬(はつせ)へ行く道は
(泊瀬川が流れ水苔で)ずっとなめらかで滑りやすい、こわい道ですよ。
恋することは(こわいですよ)十分、注意してください。
「隠口(こもりく)の泊瀬の山の山の際(ま)に
いさよふ雲は妹(いも)にかもあらむ」(巻三 四二八)
註、山深い泊瀬の山になびく雲はあの娘子の火葬の煙なのであろうか
―柿本人麻呂。
「こもりづ(処)の澤たづみなる石根(いわね)ゆも
通しておもふ君に逢はまくは」(巻十一 二七九四)
註、隠れた水、澤にこもり湧く水が石根(岩)を通し流れるように
一途に思っています。あなたに逢うまでは。
類歌―「こもりどの澤泉なる石根をも通してぞおもふ吾が恋ふらくは」
(巻十一 二四四三)
註、隠れた処(ところ)にある澤の泉にある石根(岩)すら通すように
私はあなたを一途に恋しています。
「宝樹」の向こうに見えていた光りあふれる広々とした地平に向けて
「鹿」が確かに歩んでいることを実感した嬉しい展覧会でした。
お疲れさまでした。
20120401 (桜の下草)
>桜の木の下草さま
いつもご高覧、誠に有難うございます。 コメント欄の表示が上手くされず、やきもきさせて申し訳ありませんでした。今後おそらく、これで大丈夫かと思います。上二つの文章は同じ内容なのですが、若干言い回しが替えられていて、何だか惜しくて消せませんでした。なので、そのまま二つアップしておきます。
今回の絵は色々と個人的には反省の多い絵になってしまいました。
絵の内容はおっしゃる通り、本当に、いつも恐れ多くも自身が表現したいことを見事に言葉にして頂いているのですが、
上手く表現できたか、と言えば、個人的にはもの足りなさも感じます。技術的なことです。表現方法に関してです。
なので、また同じ題名でリベンジを計るかもしれないです。
でも、大事にしたい題材と題名です。
枕詞の「こもりく」は「こもりくの」の「の」を入れて完成形です。枕詞はかかる言葉があり、歌への導入、のようなものだと思いますが、余りに音と語が美しく、続く歌の内容そのものよりも好きになってしまうことが多々あります。
こんなに短くも美しい言葉
ですが、まだまだ絵が見合ってない感あり、本当に頑張らねば、と感じました。
今回は題名と一緒に絵が考えられました。なのに、追いついていかなくて、悔しい気持ちもあります。
家は桜がやっと咲き、一昨日の荒れた天気にも耐え可憐に咲いていますね。
気になっていた椿も遅咲きながら咲き、早々と落ちそうになっています。
今回庭の剪定を容赦なくやってしまったので、庭の草花達にはさすがに負担を掛けてしまいました。
椿は3輪ほどですが、咲いてホッとしています。他、水仙なども咲き始めました。
私が思っている以上に、植物はいつも強く、驚きと包容力のようなおおらかさを感じます。
今年もたぶん、葡萄も蒼蒼となることでしょう。
いつも有難うございます。感謝致しております。
また頑張ります。
いつまでもお家族(+1含め)のご多幸をお祈り申し上げます。
コメントを投稿