遠くのお山はすっかり霧がかかった深遠な感じで、また様相が違います。
小学校から高校までの間はお山のこうした景色に近いところに住んでいたにもかかわらず、何だか改めて新鮮に感じます。
これからテント撤収にかかるのですが、あいにくの雨が降ってまいりました。雨の日の撤収はなんともテントが濡れてしまうので、後々乾かすことを考えると面倒なものです。
ぼちぼち始めるとします。撤収作業のお仕事が終わったら、良いお店があるので新蕎麦を食して労をねぎらおうかと予定してます。
夜はhuluやAmazonに繋いで映画を観てたりしてました。最近のから、結構昔のまで。同世代(オタク?)夫婦は観ている映画や音楽が相当被るのです、、、。
それにしてもオビ=ワンは20年後のレントン、出来るのでしょうか?最近カタブツのお役にハマっていたので何だか考え難いですが、でも楽しみです。
スケッチは比較的真面目なものを載せてみました。早描きの風景を完成させたいです。
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年末のある日、
というよりも、その開催のお知らせで
年末の到来を初めて実感することになったのでしたが、
12月13日の日曜日に恒例の表参道でのサポサポ会場に足を運んだ。
最終日の午後とあって流石にいつもより来場者は少ない。
入口近くに東儀悟史先生の作品が3点並んでいた。
いつもの動物ではなく人間の、しかも女性のトルソ。
石造建築の柱頭上部で重みを支えるような姿勢の女性上半身像。
寄木細工のようにいろいろな木っ端を張り合わせている。
その効果が面白い。
一枚だけの木材から彫り出してはこういう面白い味は出ないだろうと感心した。
チグハグ感が面白いのである。
整理整頓、型にはまってばかりでは人間味がないということなのか。
それとも、女性は複雑な生き物(?)で分からないとか・・・(笑)
感心したが、これは残念ながら売却済みの赤丸が貼ってあった。
もう一つのトルソはポーズが面白い。
跳び箱をヒョイと跳ぶ瞬間みたいだが、製作者の意図は分からない。
芸術思想や創作の転機をめざす決断、飛躍のシンボリックな決意表明・・・
といった深遠な意味をこめているのかなどと、
いつもながら、あらぬ想像をめぐらして勘ぐってみる。
とは言え、まあ、作者に失礼ながら、
ここは単純に跳び箱を跳ぶ姿として見てみることにする。
じっくり眺めていると、
近寄って来た会場当番らしい芸術家のタマゴ?(失礼)が
「先生が人体彫るのって珍しいですよね。
ご自分で今回は“エロ円空”だなんて言って笑ってましたよ」と、
もう一人の芸術家の卵さんにささやいて、ヒッヒッと笑った。
「この作品、どこがいいんでしょうかね?」と私がつっこむ。
「年輪が加わって円熟した感じですかね」と芸術家のタマゴさん。
「円熟って、作者のことですか?
それともモデルさんのことですか?」と、さらに私。
「あはは、両方でしょうかね」とタマゴさんは笑って
作品の胸のあたりにチラと視線を向けた。
なるほど、柱頭のトルソとはやや違うかなと私も納得する。
「肩のあたりが尖って見えませんか」と私。
「でも、この鎖骨のあたりが窪んで見えて色っぽいですよ。
私にはそういう窪みはないもの」と言って
若い女性のタマゴさんが笑った。
なるほど、作品鑑賞は奥が深いのだなと思った。
それから恭子先生の絵がかけてあるコーナーに移動した。
細長い「バラ」の絵が一枚だけ。
会場係りの別のタマゴさんに聞くと、
他に2枚あった絵は売れてしまったとのこと。
売れたことは喜ばしいことだけれど、それを拝見できなかったのは残念至極。
最終日にしか来られなかった我が身の不運を嘆くしかなかった。
バラの絵はごくあっさりした鉛筆の輪郭線の上に
絵の具の筆先を試し塗りでちょっとだけ置いた殆ど淡彩のデッサン。
制作過程や写生を始めるきっかけ、云わば動機に触れるという意味でとても興味深い。
ちょんと薄い口紅をさしたような花びらが特に気に入った。
華やかな春、夏の花ではない。
「冬の薔薇」である。
冬の薔薇は寂しいが、凛とした風情がある。
さっと流れる緑滴は季節の終わり、名残りの生への哀感と受け止めた。
「冬薔薇この道暮れて影ひとつ」
小さいけれど、充実した作品展でした。
来年も、どうぞ、よいお年を!
20151213 (しぐれ傘)
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