2010年9月4日土曜日

日々徒然。

9月になって少しラクになるかと思いきや、たくさんやることも残っております。
絵のこと然り、家のこと然り。予備校仕事も気かがり。

家のことがかなりおざなりになっています。
おもに掃除関連ですが。

アトリエだけが掃除が割りと死守されていて、他は荒し荒らされています。

★9月9日(木)~19日(日)まで、海外出張(?)に行ってます。スペインスケッチ旅行。


↑この出発の日までに、あらゆることが終わらせていること出来るのでしょうか...?
頑張らないといけません。

★展覧会のお知らせ、HPのinfoに掲載しました。どうぞ宜しくお願いいたします。
  

1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

「天高く芸術の秋」

秋は忙しい。嬉しいことで忙しい。まず、日本橋三越で開かれた「秋の院展」に出かけて、東儀恭子先生の作品「犬、追うもの」を鑑賞した。いつもの作品の中の自分なりの謎解きを始める。まずは技術論。先生ご自身から既にヒントを与えられている。動作の“ため”のこと。犬は画面の右に飛び掛らん姿勢で首はその右方向、“ため”の前足は逆の左方向、尾は体の真上だが、これから大きく左に振られるのだろうか。
動と静の対比。勿論、躍動する犬が動、追われる羊のような家畜は静。さて、どう見るか。動は活動的で、意味がある生き方をしているが、そうだろうか?一般論でなく全く個人的な見方の披瀝を許していただくなら、動は空虚で空しく、無意味な生の浪費。対する羊の静は空虚、空しいことで自己完結しているから、生は生き生きと張り詰めている。
羊の姿は全体が影であり実在感が乏しい。まるでぼんやりとしたなだらかな丘のようだ。犬のけたたましい吠え声も“羊耳”東風で聞き流され彼方の丘に吸い込まれてこだまも帰ることがない。いずれ毛をむしられようと、串焼きにされようと運命にまるで動じることがない。そう、犬は人間の夢。羊は神の夢を生きている。
その空虚な羊は絢爛たる肩掛けをつけている。これは“枢機卿”の法衣よりもはるかに鮮やかで豪華。グスタフ・クリムトの退廃的なまでの美。空虚な神の夢は実は絢爛たる色彩に包まれている。(これをこそ“荘厳(しょうごん)”というにふさわしい)これを誰が「空虚、空しい」などと言えようか。

青山の骨董街・新生堂のグループ展「新美会」の東儀恭子先生の「疾きこと風のごとし」を見る。沈みこむような深い深い空の青、写楽の黒、白っぽい乾いた大地。印象としてはとても無邪気そうな可愛らしい犬。その犬に哀切の念を覚えるのは天邪鬼か感傷か。

渋谷の西部デパートで東儀悟史先生の個展「LIVESTOCKS」を見る。晴れの舞台での堂々たる個展になったことがまずは嬉しく心からのお祝いの言葉を述べたい衝動に駆られた。真っ赤なブタさんが出るところに出ると大変ファッショナブルなナウイ(現代的)フォルムと色で存在感があったのも愉しかった。小さな作品群には小さいがユエの面白さが感じられた。手元に置きたいというお客さんがつくといいなと感じた。カラフルなパネルもどれも壁掛けにしたら小粋で洒落ている。芸術作品と商品性という調和が難しい壁をいきなり、見事にクリヤーしている。そうした意味でも今後の創作活動の転換点となる意味のある個展になったのではないかと大いに満足して会場を後にした。
2010・9・14(その蜩(ひぐらし))

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